第1章
路地裏に引きずり込まれ、無残な一晩を明かして帰宅した私を待っていたのは、目を血走らせた夫だった。彼は犯人を刺し、その報復として獄中で命を落とした。
弁護士である姉の如月澪(きさらぎ みお)は私の弁護を引き受けたが、車にはねられ植物状態になってしまった。
誰もが、2人は私に巻き込まれたのだと責め立てた。本当に死ぬべきだったのはお前だ、と。
私、如月紬(きさらぎ つむぎ)は仕事を解雇され、両親からは家を追い出された。
この5年、私は両足を折られ、食道の半分を失った。鼻からのチューブでしか命を繋げない体になっても、真相を暴くことだけは決して諦めなかった。
また新たな手がかりを得て、海を渡って調べに行こうとしたその日、母が仕方なさそうに私を引き止めた。
「紬、もう調べるのはやめなさい。陸くんは生きているわ。でもね、彼はもう澪と結婚したのよ」
私はその場に立ち尽くし、母は私の視線を避けた。
「5年前、私たちは彼の偽装死に協力したの。澪だって、植物状態なんかじゃなかった」
「2人は湊市(みなとし)で幸せに暮らしているわ。子供も産まれたのよ。昨日、私とお父さんに写真が送られてきたわ。だから、もう邪魔しないでちょうだい」
全身の震えが止まらなかった。
「お母さん、私を慰めるために嘘をついてるんでしょ?」
母は冷たい顔のまま、スマートフォンのロックを解除した。
待ち受け画面には、神崎陸(かんざき りく)が姉の手を引き、小さな女の子を胸に抱いて、眩しいほどに笑っている姿があった。
「2人は美男美女で、あなたよりもずっとお似合いよ。
姉さんがあなたの代わりに5年間も陸くんの世話をしてくれたのよ。身を引いてあげられないの?
来週、2人は結婚式を挙げるわ。親戚もみんな行くの。だから、騒ぎを起こさないで」
私は掌をきつく握りしめ、ボロボロと涙をこぼした。
なんと、私以外の全員が真実を知っていたのだ。私一人だけが、ずっと騙されていたのだ。
第1話
「どうして!」
私は自分の鼻の傷跡を指差した。
「2人の死の真相を調べるために、私は足を折られた!食道に漂白剤を流し込まれて、今でもこの管からしか食事ができないのに!
5年よ!私が人間とも思えないような惨めな姿で生きているのを黙って見ていて、胸が痛まなかったの?」
涙が零れ落ちる。私は母を睨みつけ、その顔から何か答えを見つけ出そうとした。
母は顔を背け、冷酷な声を出した。
「じゃあ、どうしろって言うの!どちらも私がお腹を痛めて産んだ娘なのよ。陸くんと姉さんが土下座して一緒になりたいと頼み込んできて、その時初めて2人が生きていると知ったの!
姉さんは昔から体が弱くて、ショックに耐えられないわ。あなたに隠すしかなかったのよ!」
母は振り返り、私の手を掴んで口調を和らげた。
「あなたが恨む気持ちも分かるわ。でも、もう終わったことよ」
「湊市で子育てをして、2人も苦労しているの。私とお父さんも会いに行けないでいるわ。だから、知らなかったことにしてくれない?」
母はなだめるように言った。
「お母さんが叔母さんに頼んで、またいい縁談を見つけてもらうから」
私は喉がカラカラに乾くのを感じながら、母の手を力いっぱい振り払った。
「お母さん、あなたの目に、私という娘は映っているの?
姉さんが土下座して頼んできたって言うけど、私はどうなるの?私が陸のお墓の前でショックで倒れるまで泣き続けて、ビルから飛び降りて後を追おうとした時、真実を教えようと一度でも思ってくれた?
お母さんは、今まで一度だって私の味方をしてくれたことはなかった」
母は顔色が真っ青になり、胸を押さえてソファに倒れ込んだ。
「私を殺す気なの?!自分が男を繋ぎ止めておけなかったくせに、私のせいにするの?
姉さんは小さい頃から、何だってあなたより優秀だったじゃない!陸くんが姉さんを好きになるのは当たり前でしょ?
どうしてそんなに執着して、みんなの生活をぶち壊そうとするのよ!」
耳の奥で激しい耳鳴りがした。
「裏切ったのはあの2人よ!姉さんが泥棒猫になって私の夫を奪ったのに、私が感謝でもしろって言うの!」
「いい加減にしろ!」
ドアが押し開けられ、父が苛立たしげな目を向けてきた。
「じゃあどうしたいって言うんだ!あいつらはもう籍も入れて、子供もいるんだ。澪が泥棒猫だと言うなら、今から騒ぎ立てようとしているお前こそが泥棒猫じゃないか!」
私は青ざめた顔で、姉を庇う両親の姿を見つめ、不意に笑い出した。
「あいつらの口から直接説明させるわ。じゃないと、2人の人生をめちゃくちゃにしてやる!」
部屋に戻ると、私はドアに寄りかかったまま床にへたり込んだ。
壁に飾られた結婚写真の中では陸が笑い、机の上には彼の遺影があり、クローゼットにはまだ彼のシャツが掛かっている。
5年間、私は彼の写真を抱きしめて夜明けまで泣き明かし、彼の無念を晴らすと誓ってきた。
それが、すべて嘘だったのだ。
私は陸とのLINEのトーク履歴を開いた。
【陸、会いたいよ。胸が張り裂けそう。
もう生きていけない。そっちへ行ってもいい?
あなたと姉さんの仇は、私が絶対に討つから】
私の独り言のようなメッセージに、彼から返信が来ることは一度もなかった。
【全部知ったわ。終わりにしましょう】
今回は、向こうから即座に返信があった。
【わかった】
翌日、部屋の外から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お義父さん、お義母さん。澪はスーパーで少し買い物をしてから、後で上がってきます」
陸が声を潜めて言った。
私は勢いよく部屋のドアを開け、彼と視線を合わせた。
彼は背が高くなり、痩せて、以前よりも落ち着いた雰囲気を纏っていた。
私の経鼻チューブに視線が落ちると、彼は言葉を失った。
「紬、それは一体何だ?」
私は無理に笑みを作った。
「満足した?私があなたの後を追おうとして死にかけたり、真相を調べるために食道まで切られたりしたのを見て。これが、あなたの望んだ結果?」
彼の瞳の奥にあった罪悪感は瞬時に消え失せ、嫌悪の色に変わった。
「紬、お前のその嘘をつく癖は相変わらずだな。
拉致だの傷害だの、お前が調べるのを止めさせるために、俺が奴らを雇ったんだ。あいつらがお前に手を出せるわけがないだろ。
自分で勝手に怯えてただけだろう。何でも俺のせいにするな」
第2話
「如月紬!お前は親の俺たちまで騙す気か!
お母さんはお前の食道が切られた時、目が潰れるほど泣き明かしたんだぞ。お前は母親にそんな態度をとるのか!」
両親が振り返って私を睨みつけた。その2人の顔には、ありありと嫌悪が浮かんでいた。
何の躊躇いもなく、彼らは陸の言葉を完全に信じ切っていた。
私は鼻のチューブを強く握りしめ、全身が塞がれるような息苦しさを感じた。
「私は、嘘なんてついてない」
突然ドアが開き、髪をお団子に結んだ小さな女の子が駆け込んできて、陸の胸に飛び込んだ。
「パパ!」
陸は彼女を抱き上げ、私の前に歩み寄った。
「結愛(ゆあ)、この人は叔母さんだよ」
私の唇が小刻みに震えた。
「今、この子の名前を何て呼んだ?」
私と陸の間にも、かつて子供がいたことがあった。
彼は私の太ももに寄りかかりながら、名付け辞典をめくっていた。
「俺たちの娘、どんな名前がいいかな?」
「どうして娘だって決めつけてるの。息子かもしれないじゃない」
「俺は絶対に女の子がいいんだ!」
彼は「結」を指差した。
「『結』って字がいい!よし、俺たちの娘の名前は『結愛』にしよう!」
目の前の小さな女の子は、無邪気に見上げて笑った。
「おばちゃん、こんにちは。神崎結愛です。今年で6歳になります!」
6歳?
私は目の前が真っ暗になり、壁に手をついてようやく倒れるのを堪えた。
その時、姉が少し膨らんだお腹を庇うようにしてエレベーターから姿を現すと、家族全員がすぐさま駆け寄った。
「あらあら、もう2人目なのね!」
陸も結愛を抱いたまま、姉のそばへすり寄っていった。
私だけが、他人の家に迷い込んだ部外者のようにリビングの真ん中に立ち尽くしていた。
「紬、久しぶりね」
姉が私の方を見た。その瞳の奥にある優越感は、隠し切れないほど溢れ出ていた。
私はたまらず悪態をついた。
「泥棒猫になるのが、そんなに誇らしい?」
パァン——
母の平手打ちが私の頬に落ち、彼女は怒りで目を見開いた。
「この馬鹿娘!子供の前でなんてこと言うの!」
陸が結愛の耳を塞いだ。
「紬、今の俺はお前の義理の兄で、結愛はお前の姪だ。口を慎んでくれ!」
姉がお腹を押さえて痛みを訴えると、陸はすぐさまクッションを彼女の腰の下に当てがい、両親もひどく慌てふためいた。
爪が掌に深く食い込み、喉の奥に血の味が込み上げてきた。
「紬、こんなところで突っ立ってどうしたの?」
叔母がドアを開けて入ってきた。私は藁にもすがる思いで彼女の手を掴んだ。
小さい頃から、叔母だけは決して姉を贔屓しなかった。
「おばさん、私……」
しかし、叔母は私の手を振り解き、笑顔で姉の方へと歩いて行った。
「澪ちゃん、帰ってきたって聞いて、すぐに飛んできたのよ!」
叔母がチラリと私を見た。
「そうそう、紬。下に姉さんの好きな有名店のケーキが届いてるから、持って上がってきてちょうだい」
自分がどうやって下へ降りたのか、全く覚えていなかった。
まとわりつくような熱気が顔を打つというのに、私の体は芯から冷え切っていた。
私はふらふらと、かつて陸と出会った橋の上まで歩いてきた。
あの日、両親は私の誕生日を、姉の大学合格祝いの席に変えてしまった。
私が泣きながら橋の上に駆け出すと、陸が後ろから飛びついて私を抱きしめた。
「早まった真似だけは絶対にやめてくれ!」
私が目を赤くして両親の贔屓を愚痴ると、彼も一緒になって怒ってくれた。
「行こう、俺が一緒に帰って、お前の親に文句を言ってやる!」
私が泣き笑いのような表情を浮かべると、彼は私のえくぼを見て見とれていた。
あの日から、私が両親の贔屓を愚痴る時、陸はいつも毅然として私の味方をしてくれた。
プロポーズの日、彼はこう言った。
「紬、俺がお前の後ろ盾になり、揺るぎない心の支えになるよ」
だが今回ばかりは、その私の心の支えでさえ、私を捨てたのだ。
私はバッグを下ろし、片足を欄干の向こう側へと掛けた。
「如月紬!」
背後から、陸が私に向かって猛烈な勢いで走ってきた。
第3話
私と彼は無様に地面に倒れ込み、彼は血走った目で私の肩を掴んだ。
「狂ったのか!今お前が飛び降りたら、ご両親はどうなる?姉さんはどうなるんだ?世間からどれだけ後ろ指を指されると思ってる!」
私は呆然とした。
なんと、私を助けたのは、姉が非難されないためだったのだ。
大粒の涙が地面に落ちると、陸は慌てた。
「何を泣いてるんだ?」
彼は伸ばしかけた指を途中で引っ込めた。
「さっき澪と相談して、結愛をお前のことを第二の母親として尊敬させるように育てると決めたんだ。これで文句ないだろう?」
第二の母親?
彼のその施しを与えるような口調に、私は笑いが込み上げてきた。
私は彼の手首を掴み、問い詰めた。
「あなたたちは、いつからそんな関係になったの?」
彼は視線を彷徨わせ、顔を背けた。
「もう聞くな」
「答えなさいよ!」
私は声を荒らげ、彼の目をじっと見据えた。
「せめて、私に納得させてよ」
陸は言葉に詰まり、きつく目を閉じた。
「お前が不慮の事故で流産した日、俺は一人でやけ酒を飲んでいた。澪がお前の着替えを病院に届けるためにまとめに来てくれて、俺は飲みすぎていて、それで……」
彼は伏し目がちになり、酷く掠れた声を出した。
「彼女の責任をとらなければならなかった。すぐに妊娠が分かって、俺はこの子を諦めきれなかった。だから……」
「私を切り捨てるしかなかった、そういうこと?」
私は自分で思うよりも冷静だった。
頭の中は、私が入院していた時、看病してくれていた陸が姉に追い出された光景で埋め尽くされていた。
私はてっきり、姉が陸の看病の仕方が不器用だと文句を言っているのだと思っていた。だが実は、彼女は彼を気遣っていたのだ。
私は傍らの欄干につかまりながら、ふらふらと立ち上がった。
陸は恐る恐る私を見た。
「落ち着いてくれ。俺と澪の結婚式まであと3日なんだ。
お前が出席してくれさえすれば、澪が略奪したと周囲から誤解されずに済む。頼む、この通りだ!」
頼む?
私は彼を見つめ、ひどく歪んだ笑みを浮かべた。
陸が私にこの言葉を使ったのは、これが初めてだった。
彼のスマートフォンが鳴り、姉の甘えたような声が聞こえてきた。
「あなた、今検診が終わったの。迎えに来てよ」
彼は私を一瞥すると、踵を返して去っていった。
私は一人、川辺で一晩中座り込んだ。
翌日、家に帰るとすべての荷物をまとめた。
母がドアを開けて入ってきた。
「お母さんのお願いを聞いてちょうだい」
ウェディングドレスの店に引きずり込まれるまで、母が私に姉のドレスの試着に付き添わせようとしているとは夢にも思わなかった。
「実の姉なんだから、水に流しなさい」
鏡の中では、姉が口紅を引いていた。
「私を恨まないでね。感情に早い遅いは関係ないの。お互いの気持ち次第よ」
私は掌をきつく握りしめ、胃の中が激しく掻き回されるのを感じた。
「如月澪。あなたは私が持っていないものを全て手に入れたのに、どうして陸まで奪う必要があったの?」
彼女はふと笑い、声を極端に潜めた。
「あの時のあなたの流産が、本当にただの事故だと思ってるの?」
私はその場に釘付けにされ、背筋が凍りついた。
「あの頃、あなたは社長と出張や残業ばかりしていたでしょう。陸はとっくに、あれが自分の子じゃないと疑っていたのよ」
彼女は意味深長な視線で私を見た。
「記憶が確かなら、あの日、彼が作ったスープを飲んでから切迫流産の兆候が出たのよね?」
私は勢いよく顔を上げ、彼女の瞳の奥にある憐れみと視線がぶつかった。
「嘘よ!」
私は店を飛び出し、陸を問い詰めようとした。
母が入ってきて、声を潜めて言った。
「澪、あんたの言ったことは本当なの?」
「こうでも言わないと、あの子が完全に諦めきれないでしょ?」
私は頭が朦朧としたまま、店の外へ飛び出した。
けたたましいクラクションの音が鳴り響き、顔を上げると、結愛が道路の真ん中に立ちすくんでいた。大型バスとの距離は10メートルもなかった。
私は無意識に飛び出し、彼女を抱えて歩道へとダイブした。
群衆の悲鳴が上がり、私の背中はタイヤにすれすれで掠った。
陸が反対側から飛び出してきて、結愛を奪い取るように抱え上げた。私が立ち上がるよりも早く、彼の怒鳴り声が頭上から降ってきた。
「如月紬!死にたいなら俺の娘を巻き込むな!」
第4話
澪もすぐ後から出てきて、私を指差して張り裂けんばかりの声で泣き叫んだ。
「まだ6歳の子供に、よくもそんな恐ろしい真似ができたわね!何かあるなら私に言ってよ!」
彼女は私を突き飛ばし、地面に突いた掌がヒリヒリと痛んだ。
「私がこの子を助けたのよ!」
私が結愛に目を向けると、彼女は唇を尖らせて目を真っ赤にしていた。
「わたし……」
「結愛、ママに言ってごらん。このおばちゃんに突き飛ばされたんでしょ?このおばちゃんが結愛を殺そうとしたんでしょ!」
結愛は姉の厳しい口調に怯え、わあわあと泣き出した。
「う、うん、おばちゃんがわたしを突き飛ばしたの」
周囲が一瞬、静まり返った。
野次馬たちが、軽蔑の目で私を見ていた。
「あれでも人間かよ。子供にまで手を出すなんて!」
陸が大股で歩み寄り、私の胸倉を掴んだ。
「俺を恨んでも憎んでもいい。だが、俺の娘にだけは絶対に手を出すな!」
彼にビンタを食らわされ、顔の半分が途端に腫れ上がった。
父がペットボトルを掴んで私の頭に叩きつけ、母は私の腕を力いっぱい抓った。
「どうしてこんな恩知らずな畜生を育ててしまったんだ!
とっとと失せろ!早く消えろ!」
口を開いて説明しようとしたが、いざ声を出そうとすると、何も言葉が出てこなかった。
姉は結愛を抱き抱えたまま、人だかりの後ろに隠れて私に微笑みかけた。
彼女は、わざとやったのだ。
私は母によって部屋に閉じ込められた。
「もうすぐ姉さんの結婚式よ。邪魔をさせるわけにはいかないわ。ここ数日は大人しく家にいなさい。話は結婚式が終わってからよ!」
結婚式当日、姉が私の部屋のドアの前を通りがかった。
「お母さん、妹が来たら何を言い出すか分からなくて心配なの。来ない方がマシだわ」
「それならいっそ……」
陸が錠を手に取り、カチャリと鍵をかけた。
「紬、大人しくしてろ。俺たちが帰ってきたら出してやるから!」
足音が遠ざかっていく。
暗闇の中に座り込み、かつて身籠ったあの子供のために買ったお守りを握りしめていた。それは変形し、熱を帯びるほど強く握られていた。
私の子が、父親である彼自身の手によって殺されたのだと思うと。
私は激しく嘔吐した。
SNSを開き、一つの投稿を編集した。
【夫が5年前に偽装死し、私の実の姉と結婚して子供を作っていました】
震える指で送信ボタンを押した。
振り返って窓を開けると、冷たい風が顔に吹き付け、音もなく涙が滑り落ちた。
「赤ちゃん、ごめんね。お母さん、行くのが遅くなっちゃった」
私は目を閉じ、躊躇うことなく窓枠を越えた。
……
結婚式の会場には、如月家の親戚が全員集まっていた。
「おめでとう、澪ちゃん。末永くお幸せにね。早く元気な赤ちゃんを産んで!」
「本当ね、こんないいお婿さんを見つけるなんて。そういえば、紬ちゃんの姿が見えないわね」
母は取り繕うように、わざとらしく咳払いをした。
「あの子は体調が悪いから来てないの」
しばらくして、母は叔母の袖を引っ張った。
「いつになったら紬にいい縁談を再紹介してくれるのよ。あの子が一日中死ぬと騒がないようにね」
陸が姉の手を引いて出てきた時、その言葉を耳にして笑顔を強張らせた。
なぜだか、彼の胸の奥で得体の知れない感情が渦巻いた。
姉の顔色が少し曇った。
「陸、行きましょう。結婚式が始まるわ」
結婚式が半ばまで進んだ頃だった。
「神崎陸さん、あなたは如月澪さんを妻として迎えますか?」
大扉が蹴り開けられ、制服姿の警察官たちが次々と流れ込んできた。会場は水を打ったように静まり返った。
「如月紬さんが転落死しました。どなたか、ご遺体の身元確認に同行していただけますか?」