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妹を救った私は、炎の中に置き去りにされた
幼い頃から、私・江原美緒(えはら みお)は火が怖かった。 母・江原裕子(えはら ゆうこ)は家中の火を使うものをすべて電化製品に替え、誕生日のロウソクさえ私の目に触れさせなかった。 しかし、妹・江原佐緒里(えはら さおり)が生まれてから、彼女は家族の新しい宝物になった。 大晦日の夜、妹はこっそり私の部屋に入り込み、キャンドルランタンで遊び始めた。 火の粉がテーブルクロスに燃え移った。 炎は布を伝って瞬く間に広がり、部屋中がもうもうと煙に包まれた。 物音を聞いた私は、恐怖を必死に押し殺して妹を助けに飛び込んだ。けれど、濃い煙を吸い込んで意識を失い、その場に倒れてしまった。 それでも私は、妹を半ば引きずり、半ば抱きかかえながら、必死に外へ這っていった。 そして、私たちがもう少しで部屋の外へ出られるという、その時だった。 両親が駆けつけてきた。 2人の目に入ったのは、妹の上に覆いかぶさるように倒れている私と火傷を負った妹の顔だった。 そして、私の手にはまだライターが握られていた。 「この人でなし!妹を焼き殺すつもりだったのか!」 父・江原康夫(えはら やすお)の目は血走っていた。私が弁解する暇さえ与えず、次の瞬間、背中に思い切り蹴りを入れた。 両親は妹を抱き上げ、そのまま外へ飛び出していった。そして、火を何よりも恐れる私を、部屋の中に閉じ込めた。 「中でちゃんと反省しろ!少しは思い知るんだ!」 2人は妹を病院へ連れていくのに必死だった。けれど、誰一人として振り返らなかった。 濃煙を吸い込み、何度も血を吐きながら咳き込む私のことなど、誰も気に留めなかった。
チャプター (1)
第1章
幼い頃から、私・江原美緒(えはら みお)は火が怖かった。
母・江原裕子(えはら ゆうこ)は家中の火を使うものをすべて電化製品に替え、誕生日のロウソクさえ私の目に触れさせなかった。
しかし、妹・江原佐緒里(えはら さおり)が生まれてから、彼女は家族の新しい宝物になった。
大晦日の夜、妹はこっそり私の部屋に入り込み、キャンドルランタンで遊び始めた。
火の粉がテーブルクロスに燃え移った。
炎は布を伝って瞬く間に広がり、部屋中がもうもうと煙に包まれた。
物音を聞いた私は、恐怖を必死に押し殺して妹を助けに飛び込んだ。けれど、濃い煙を吸い込んで意識を失い、その場に倒れてしまった。
それでも私は、妹を半ば引きずり、半ば抱きかかえながら、必死に外へ這っていった。
そして、私たちがもう少しで部屋の外へ出られるという、その時だった。
両親が駆けつけてきた。
2人の目に入ったのは、妹の上に覆いかぶさるように倒れている私と火傷を負った妹の顔だった。
そして、私の手にはまだライターが握られていた。
「この人でなし!妹を焼き殺すつもりだったのか!」
父・江原康夫(えはら やすお)の目は血走っていた。私が弁解する暇さえ与えず、次の瞬間、背中に思い切り蹴りを入れた。
両親は妹を抱き上げ、そのまま外へ飛び出していった。そして、火を何よりも恐れる私を、部屋の中に閉じ込めた。
「中でちゃんと反省しろ!少しは思い知るんだ!」
2人は妹を病院へ連れていくのに必死だった。けれど、誰一人として振り返らなかった。
濃煙を吸い込み、何度も血を吐きながら咳き込む私のことなど、誰も気に留めなかった。
第1話
身体が突然、ふっと軽くなった。
そのまま私は、宙へ浮かび上がっていった。
下を見下ろすと、部屋の隅で小さな身体がうずくまっていた。
制服は焼け焦げ、残っているのはわずかな布切れだけ。皮膚は焼けた紙のように真っ黒に焦げ、少し触れただけで灰になってしまいそうだった。
髪の毛は一本も残らず、青白い頭皮がむき出しになっている。
そこには無数の水ぶくれがびっしりと浮かんでいた。
それは私だった。
もっと正確に言えば、それは私の死体だった。
私は死んだ。
大晦日の夜、自分の部屋で、生きたまま焼き殺されたのだ。
階下から、救急車のサイレンが聞こえてきた。
邸宅の庭にある人感センサーライトが点いては消え、消えてはまた点く。
遠くからは、途切れ途切れにお正月の歌も聞こえていた。
救急隊員たちが担架を抱えて駆け込んでくる。
母の泣き声が、張り裂けそうに響き渡った。
「佐緒里ちゃん!目を開けて、お母さんを見て!お願いだから!」
母は妹をぎゅっと抱きしめ、両手を震わせていた。
父も担架の横について歩き、顔面を真っ青にして、一歩たりとも離れようとしない。
妹の顔の火傷を見つめながら、目を真っ赤にしていた。
「絶対に助けてやってくれ……頼む……」
最初から最後まで、誰一人として2階を見上げることはなかった。
救急車はサイレンを響かせながら、走り去っていった。
邸宅のリビングでは、テレビがまだ特番を流していた。
アナウンサーは満面の笑みを浮かべている。
「この家族団らんのひとときに、皆さまのご家族に幸せが訪れますように……」
それから、およそ1時間が経った頃、父が戻ってきた。
その顔は、今にも雷が落ちそうなほど険しかった。
父は大股で2階へ上がり、私の部屋の前で足を止めた。
「美緒!出てこい!」
父は焦げたドアを思いきり蹴り飛ばした。
ドンッ!
大きな音が響き、木片が床に散らばった。
私は父の目の前まで浮かんでいき、「お父さん」と呼ぼうとした。
けれど、声が出なかった。
「中に隠れていれば、俺が許すとでも思ったか?」
父は冷笑した。
「お前の妹はまだ救命処置を受けてるんだ。顔の傷が残ったら、お前は一生ただじゃ済まさないからな!
まだ子供のくせに、なんて悪どい心をしてるんだ。あれはお前の実の妹だぞ!」
父の言葉がまるで刃物のように私の胸へ突き刺さった。
けれど、もう痛みを感じることはできなかった。
しばらく待っても返事がないことで、父はさらに怒り狂った。
父は踵を返して物置へ向かい、釘打ち用のハンマーと何枚かの木板を持ってきた。
私は父が何をするつもりなのか分からなかった。
父が木板を私の部屋のドアに当て、ハンマーを振り上げた……
ドンッ!
1本目の釘が打ち込まれた。
ドンッ!
2本目。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
その動きが、まるで棺の蓋を打ちつけているように見えた。
「やめて!」
私は叫びながら父のもとへ駆け寄り、その腕をつかもうとした。
けれど、私の手は父の身体をすり抜け、何もつかむことができなかった。
木板は1枚、また1枚と打ちつけられ、焦げたドアは完全に封鎖されていった。
父はドアの前に立ち、木板を力いっぱい引っ張ってみた。しっかり固定されていることを確かめると、満足そうな表情を浮かべた。
「これがお前の報いだ。中でしっかり反省しろ!妹が目を覚ましたら、またお前にきっちり落とし前をつけさせる!」
父はスマホを取り出し、母に電話をかけた。
「もしもし?佐緒里ちゃんはどうだ?……まだ救命処置中?分かった。
あのクソガキはもう始末した。部屋のドアを釘で打ちつけて閉じ込めた。何日か腹を空かせてりゃ、もう二度と人を傷つけようなんて思わない」
電話の向こうから母の声が聞こえた。
「ちゃんと釘は打った?また出てきて佐緒里ちゃんを傷つけたら大変よ……」
「安心しろ。びくともしないくらい、しっかり打ちつけた」
そう言い捨てると、父は乱暴に電話を切り、階下へ降りていった。
廊下は再び暗闇に包まれた。
窓の外では、まだ軽やかな音楽が響き続けている。新年のイルミネーションが街を彩り、辺りをほのかに照らす。
そのきらびやかな光が窓から差し込み、廊下に打ちつけられた木板を浮かび上がらせていた。
まるで私を、あの世へ送り出すかのように。
第2話
翌日は元日。
例年なら、母方の祖母の家へ新年の挨拶に行くはずだった。
けれど、今年はもう無理だった――妹がまだ入院している。
母は朝早くに帰ってきた。
足早に2階へ上がってくるその顔は、ひどく憔悴していた。
そしてそのまま、木板で釘付けにされた私の部屋の前に立った。
「美緒!」
母の声は甲高く耳障りで、誰もいない廊下に響き渡った。
「中で何を考えてるのか知らないけど、これだけは言っておく。もうあんたにはうんざりなの!
昨日の夜、叔父さんに電話したわ。明日、あんたを田舎に送るから。そこで思う存分反省しなさい。もしちゃんと改心しないなら、二度と帰ってこなくていいわ!」
その口調は冷たく、決然としていた。まるで私に判決を言い渡しているようだった。
「叔父さんの家は生活も楽じゃないから、ちょうどいいわ。そこで苦労して、少しは思い知りなさい。
毎朝5時に起きて、豚や鶏の世話をして、それから畑仕事。そうすれば、人を傷つけることなんて考える暇もなくなるでしょう」
私は母の前に浮かびながら、歪んだその顔を見つめていた。
「聞いてるの!?」
母は木板をバンバン叩いた。
「今すぐ荷物をまとめなさい。明日の朝一番で出発よ!」
返事はなかった。
母の顔がみるみる険しくなっていく。
「いい度胸ね……まだ私に逆らうつもり?いいわ。あんたが荷造りしないなら、私がやってあげる!」
母は踵を返すと、自分の部屋へ駆け込み、古いスーツケースを引っ張り出した。
そして少し考えたあと、スマホを取り出して私の番号に電話をかけた。
「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません……」
私のスマホはポケットの中に入ったまま、そして今は、私と一緒に焼け焦げ、鉄くずになっている。
「そう……そういうことね」
母は怒りのあまり、逆に笑い出した。
そしてスマホをソファに叩きつけた。
「家出したってわけ?罪から逃げるために逃亡したのね!」
母はラインを開き、親戚のグループに音声メッセージを送った。
「みんな聞いて!うちの美緒、昨日火をつけて妹に火傷させたくせに、今日は姿をくらましたの!
私はもう一度だけチャンスをあげて、反省させようと思ってたの。それなのに、あの子ったら勝手に逃げたのよ!」
グループはたちまち騒然となった。
【えっ!?美緒がそんなことをしたの?】
【私は前からあの子はおかしいと思ってたのよ。いつも暗い顔してるし】
【きっと妹に嫉妬してたのよ。最近の子は本当に心が歪んでるわ】
【お義姉さん、早く警察に通報して!警察に連れ戻してもらいなさい】
母は次々と届く返信を見て、ますます腹を立てた。
その時、ふと視線がベランダに向いた。
そこには何鉢かの観葉植物が置かれていた。
ポトス、多肉植物、それから満開を迎えたツバキ。
どれも、私が育てていたものだった。
朝食代を少しずつ節約して、お金を貯めて買った。
学校から帰ってきたら、毎日一番に水をやっていた。
母は大股でベランダへ向かうと、ツバキの鉢を乱暴につかみ上げた。
「この恩知らず!」
ガシャーン!
陶器の鉢が床に叩きつけられ、いくつもの破片に砕け散った。
土があたり一面に飛び散り、ピンク色の小さな花びらがそこら中に落ちた。
陽の光を浴びたその花びらは、ひどく目に刺さるように鮮やかだった。
やめて……
私は慌てて駆け寄り、止めようとした。
けれど、私の手は母の身体をすり抜けてしまう。
母はそれでも気が済まなかったのか、今度は吊り鉢の植物をつかみ、床に叩きつけた。
ドンッ!
ドンッ!
1鉢、また1鉢。
土も、陶器の破片も、折れた枝葉も、床一面に散らばっていった。
「隠れやがって!逃げて、知らん顔してれば済むと思ってるの!?そう、あんたは逃げたのね?だったら、もう二度と帰ってこなくていい。
最初から、あんたなんて娘は産まなかったことにするわ!」
母は鉢を壊しながら、私を罵り続けた。
すべて壊し終えると、荒い息を吐きながらスマホを取り出し、再び親戚のグループに音声を送った。
「今から交番に行って、警察に通報するわ。あの子を連れ戻してもらう!こんな子は少年院にでも入れて、ちゃんと規則を教えてもらえばいいのよ!」
親戚たちは口々に賛同した。
【そうよ。それがいいわ!】
【お義姉さん、間違ってないわ!絶対に甘やかしちゃダメ!】
【そういう子は一度きつく叱れば、すぐ大人しくなるわよ!】
私はベランダに浮かびながら、床一面に散らばった破片と土を見つめていた。
ピンク色の花びらが風に舞い、くるくると回りながら、ゆっくりと萎れていく。
――お母さん、知ってる?今あなたが壊したのは、私にとってたった1つの幸せだった。
そして、あなたが私を送り込もうとしている場所へ……私はもう、永遠に辿り着けない。
第3話
その時、2階から突然、耳をつんざくような音が響き渡った。
ピッ――ピッ――ピッ――!
煙感知器だ。
部屋に残っていた煙の濃度が再び警報を作動させ、赤いランプが激しく点滅している。
私は廊下に浮かびながら、けたたましく鳴り続けるその装置を見つめる。
これが、私に残された最後のチャンスだ。
誰かが様子を見に来てくれれば、誰かがあの木板をこじ開けてくれれば……
私を見つけてくれる。
私が家出したんじゃないと、分かってくれる。
私はずっとここにいて、みんなが探しに来るのを待っていたのだと、知ってもらえる。
階下から物音が聞こえてきた。
「なんだよ、うるせえな!」
父がソファから立ち上がり、いら立った様子で2階へ向かってきた。
来た!
お父さんが来た!
この瞬間、私の胸が激しく高鳴った――もう心臓なんて動いていないのに。
お父さん、早く来て!
早くドアをこじ開けて!
私はここにいる!
父は2階へ上がり、釘で固く封じられた私の部屋の前に立った。
眉をひそめ、頭上で点滅する赤い警報ランプを見上げる。
煙感知器はまだ鳴り続けている。
その音は、次第に激しくなっていく。
ピッピッピッピ――!
「ったく、このポンコツ、昨日ちゃんと点検したばっかりだろ」
父はぶつぶつ言いながら、腰の工具袋に手を伸ばした。
そこには釘抜き用のハンマーが入っていた。
父は木板をこじ開けて、中を確認するつもりだ。
近い。
もっと近くに。
ついにハンマーを取り出した。
父はドアの前に立ち、木板と釘の隙間にハンマーの先端を差し込んだ。
あと少し力を入れてこじれば、木板が外れる。
ドアが開けば、父は私の真っ黒に焼け焦げた遺体を見る。
そして、真実を知る。
私の魂は震え、必死に叫んでいた。
こじ開けて!
お願いだから、こじ開けて!
父の腕に力が入る。
ハンマーが木板を押し上げ始めた。
ギィ……
木板が小さな音を立て、ほんの少しだけ緩んだ。
その時――
「お父さーん!」
階下から、妹の甲高い泣き声が響いた。
「お父さん、煙の臭い、すごく嫌!ここに住みたくない、部屋を替えて!」
妹は病院から戻ってきたばかりだった。
その顔には包帯が巻かれ、泣きじゃくるような声を上げている。
父の動きが止まった。
振り上げられたハンマーも、そのまま静止する。
父は振り返り、階下を見た。
「お父さん、怖いよ……」
妹の泣き声が、ますます大きくなる。
やめて……
行かないで……
私は父の背後に浮かびながら、必死にその腕をつかもうとした。
あと一度だけでいい……
もう一度、こじ開けて……
お願い……!
けれど、父には私が見えない。私の声も聞こえない。
父はハンマーを引き戻し、工具袋にしまった。
「はいはい、分かった。父さん、今すぐ行くからな」
そう言うと、一度も振り返らずに階下へ降りていった。
足音が、どんどん遠ざかっていく。
ピッ――ピッ――ピッ――!
煙感知器はまだ鳴り続けている。
まるで最後の助けを求めているかのように。
けれど、もう誰も上がってこなかった。
それから5分ほど経つと、警報音が次第に途切れ途切れになっていった。
ピッ……ピッ……
電池が切れかけている。
さらに2分後、煙感知器が、最後にかすかな音を一度だけ鳴らした。
ピ……
そして、完全に沈黙した。
赤いランプも消えた。
廊下は再び暗闇に包まれた。
階下から、両親の話し声が聞こえてきた。
「ふう、やっと鳴り止んだな」
父がほっとしたように息を吐く。
「昨日の火事のせいよ。煙がまだ残ってるんでしょう」
母の声には、何の関心もなかった。
「そのうち自然に消えるわよ」
「それにしても、あの部屋は真っ黒に焼けちゃって、もう使いものにならないな」
「どうせあの子が帰ってきたら、自分で片づけさせればいいわ」
2人は階下で楽しそうに話していた。何もおかしいことなどないとでもいうように。
私は廊下に浮かびながら、木板で固く封じられたあのドアを見つめていた。
そして、もう消えてしまった煙感知器を見つめた。
絶望が、まるで潮のように私を飲み込んでいった。
もう、誰も来ない。
もう、誰にも見つけてもらえない。
第4話
午後の陽射しが、掃き出し窓からリビングへ差し込んでいた。
テレビでは、特番の再放送が流れている。
父はソファに寄りかかりながらスマホをいじり、時折、声を上げて笑っていた。
妹は母の腕の中にすっぽり収まり、顔にはまだ包帯が巻かれていた。
タブレットでアニメを見ながら、リンゴをかじっていた。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「誰かしら?」
母は立ち上がって髪を整えると、玄関へ向かい、ドアを開けた。
そこに立っていたのは、ラフな服装をした背の高い男だった。
手には、輸入物のさくらんぼが入った箱と、バービー人形のギフトボックスを提げている。
従兄の林大成(はやし たいせい)だ。今は消防隊の隊長を務めている。今日は新年の挨拶に来たのだ。
「あら、大成くん。来たのね」
母はたちまち笑顔になり、慌てて手土産を受け取った。
「ほら、早く入って。外は寒いでしょう」
従兄は靴についた雪を払いながら、家の中をぐるりと見渡した。
「佐緒里ちゃんが大晦日の夜に火傷したって聞いたよ。さっきまで勤務だったから、その足で新年の挨拶に寄ったんだ。妹の様子を見にね」
「大丈夫よ、大丈夫。顔をちょっと火傷しただけで、医師も跡は残らないって」
母は従兄を家の中へ招き入れた途端、堰を切ったように愚痴をこぼし始めた。
「あなた、あの日がどれだけ危なかったか知らないでしょう。叔父さんが早く気づかなかったら、佐緒里ちゃんは死んでたのよ!全部美緒のせいで……」
従兄はソファのそばまで歩いていくと、しゃがんで妹の頭を優しく撫でた。
妹は顔を上げて、「お兄ちゃん」と呼んだだけで、またすぐにテレビへ目を戻した。
従兄は妹の顔に巻かれた包帯に気づき、わずかに眉をひそめた。
「火傷、ひどいのか?」
「大したことないわ。もうちゃんと処置してもらったから」
父は鼻から煙をふっと吐き出した。
「全部は美緒のせいだ。正月だってのに部屋で火遊びなんかして、妹をこんな目に遭わせやがった!」
従兄は父へ視線を向けた。
「美緒は?何度か会ったことがあるけど、大人しそうな子だったよな」
「大人しい?」
父は鼻で笑った。
「あれは猫をかぶってただけだ。性根が腐ってるんだよ。妹に嫉妬して、わざと火をつけたんだ。それで今度は罪から逃げて、姿をくらました!」
「家出したのよ」
母も横から口を挟んだ。その声には不満がありありと滲んでいた。
「電話もずっと電源が切れてるし、どこにいるのかも分からない。恩知らずな子よ!」
従兄の眉間に、深い皺が刻まれた。
「家出?もうどのくらいになる?」
「3日間よ」
母は苛立たしげに答えた。
「外でさんざん苦労して、痛い目を見てからじゃないと戻ってこないつもりでしょうね」
3日間。
従兄の胸に、嫌な予感が走った。
10代そこそこの子供が、正月に家を出て、一体どこへ行ける?
「警察には届けたのか?」
「警察?」
父は面倒くさそうに手を振った。
「ただの癇癪だろ。2、3日も腹を空かせりゃ、勝手に戻ってくるさ」
従兄は、それ以上何も言わなかった。
立ち上がると、2階へ続く階段へ視線を向ける。
「2階を見てくる」
「おい、大成くん。ここでゆっくりしていけよ」
父が声をかける。
「大丈夫。火事の現場を見てくる」
そう言うと、従兄はそのまま2階へ上がっていった。
2階の廊下を歩いていた従兄は、突然、足を止めた。
鼻をすすると、空気に、妙な臭いが混じっていた。
普通の煙の臭いではない。
木が焼け焦げた臭いでもない。
もっと鼻を刺すような、耐え難い臭い。
それは、高温で焼けたたんぱく質が炭化し、さらに3日間密閉されたまま腐敗したことで生じる、独特の臭いだ。
従兄の顔色が変わった。
この臭いを、彼は知り尽くしていた。
焼死体の臭いだ。
従兄の視線が、木板で釘付けにされた部屋のドアへ向かう。
木板は隙間なく打ちつけられ、ほとんど隙間が見えないが、ドア枠の下には、ごく細い隙間が残っていた。
その周囲には、数匹のハエが群がっている。
従兄は足早にドアの前まで行き、しゃがみ込んだ。
あの腐ったような生臭さが、さらに強くなった。
隙間から、鼻の奥へ直接入り込んでくる。
従兄は手を伸ばし、ドア枠の下の隙間に触れた。
指先に、何か粘つく液体が付着した。
遺体が腐敗して染み出した体液だった。
3日も経っているため、すでに黒褐色に変色している。
従兄の瞳孔が、大きく収縮した。
彼は勢いよく立ち上がり、階下へ向かって叫んだ。
「叔父さん!上に来て!」
階下から、父の不機嫌そうな声が返ってきた。
「なんだよ?俺は今、佐緒里ちゃんとテレビ見てるんだぞ……」
「今すぐ来て!」
従兄の声が一段高くなり、命令するような響きを帯びた。
その迫力に父も気圧されたらしい。
「しつこいな……」
ぶつぶつ文句を言いながらも、渋々2階へ上がってきた。
「どうしたんだ?そんな大声出して……」
父が従兄の前まで来る。
だが、言葉を言い終える前に、従兄に肩をつかまれた。
「このドアの向こうに何がある?」
「美緒の部屋だよ」
父は気にも留めない様子で答えた。
「焼けたから、俺が釘で塞いだんだ。あいつが戻ってきてから考えればいい」
「開けてください」
従兄の声は、氷のように冷たい。
「開けるって、何のために?」
父は訳が分からないという顔をした。
「中は真っ黒で何も見えないぞ。何があるっていうんだ?」
「開けろと言ってるんだ!」
従兄の声が、ほとんど怒鳴り声になった。