第1章
私は生まれつき気が弱い。誰かに嫌なことをされても、隠れて泣くことしかできなかった。
恋人の蓮見怜介(はすみ れいすけ)は、そんな私を見ると心を痛め、相手に言い返そうとしてくれた。けれど私は、そのたびに「もういいから」と止めていた。
ところが、彼の幼なじみの折原桃香(おりはら ももか)は、こう言った。
「わかるよ、その気持ち。私も昔はぶりっ子だったもん。ちょっと涙を流せば、相手を悪者にできるんだよね。
怜介に言い寄ってた子、結構いたのに。その手で彼女の座を勝ち取ったんでしょ?」
どうしていいかわからず怜介を見た私に、彼は気にも留めない様子で笑った。
「桃香はああいう言い方をするんだ。悪気はないよ」
彼のそのひと言を後ろ盾に、桃香はあの手この手で私に嫌がらせをするようになった。
みんなで食事をしたときには、わざと私に水をかけた。居たたまれずティッシュを探していると、桃香はわざと声を張り上げた。
「怜介、見てよ。ぶりっ子な彼女ちゃん、やることが違うね。私がわざと水をかけたみたいに見せてる。あんな透ける服まで着て、みんなに自慢の体を見せたいの?」
上着を取って私にかけようとしていた怜介は、その言葉を聞いた途端、顔を険しくした。
気まずいまま食事会はお開きになり、それ以来、私はできるだけ桃香と顔を合わせないようにした。すると今度は「付き合いが悪い」と言って、友人たちを連れてうちまで来た。
食後、怜介が私の薬指にペアリングがないことに気づいた。桃香は自分のポケットから、私の指輪を取り出した。
「ちょっと、何これ。来てほしくないならそう言えばいいじゃない。私を泥棒に仕立てるつもり?
私と怜介がそういう仲なら、あなたの入る余地なんてないの。こんなことしても、むなしいだけだよ」
怜介まで、珍しく怒りをあらわにした。
「辻村紗和(つじむら さわ)、桃香に謝ってくれ」
私が仕組んだと決めつける彼を見て、胸の奥がじんとしびれた。
この人と付き合い続ける意味は、もうないのかもしれない。
第1話
泣き声にならないよう必死にこらえながら、私は口を開いた。
「リビングにカメラがあるよね。映像を見れば、私がやったかどうかわかるから」
けれど、桃香と友人たちは笑い出した。
「ぶりっ子ちゃん、まだ演技してるよ。
自分がやったってばれたら、今度は泣きながら『怜介のことが好きすぎて』って言うんでしょ。
もういいって。私、心が広いから、私がやったことにしてあげる。怜介、これからは会うのを控えようか。彼女ちゃんに、また余計な心配させちゃうし」
そう言って桃香たちが玄関へ向かうと、怜介は慌てて、靴も履き替えずに追いかけていった。
私は震える手でカメラの映像を呼び出し、桃香が私の指輪を抜き取った瞬間を見つけた。
戻ってきた怜介に、そのスクリーンショットを見せた。けれど彼は、私の手からスマホをたたき落とした。
「もういい、紗和。桃香は気にしないって言ってくれてるんだ。もう、こんな面倒は起こさないでくれないか。僕と桃香は20年以上の付き合いなんだよ。そういう小細工をする相手じゃない」
割れた画面を見下ろすと、自分の心まで、ひとかけら砕けた気がした。私はゆっくりしゃがみ、スマホを拾った。
「怜介、別れよう」
怜介は鼻で笑った。
「桃香の言うとおりだね。人に罪をなすりつけられなかったから、今度は別れ話で脅すんだ」
目の前の彼が、初めて知らない人のように思えた。
「怜介、本気で言ってるの」
彼は眉間を指で押さえた。
「紗和、これ以上ごねても仕方ないだろ。僕は疲れた。紗和も早く休んだら。今日のことは、なかったことにしてあげるから」
そう言い残し、ひとりで寝室へ入っていった。私はリビングの真ん中から動けなかった。
昔、嫌なことをされて眠れず、寝返りを打ちながら一晩中泣いていたとき、怜介はいつも根気よくそばにいて、黙って涙を拭いてくれた。同じ話を何度繰り返しても聞いてくれて、次はどう対処すればいいか、教えてくれた。小さなプレゼントや甘いものを買って、元気づけてもくれた。
それなのに。5年の付き合いは、桃香が私をおとしめるひと言にも及ばなかった。
大きく息を吸い、母にメッセージを送った。
【やっぱり、地元を離れて暮らすのはしんどい。家に帰りたいの】
夜中なのに、母からはすぐに返事が来た。
【帰っておいで。うちには何でもあるから】
何があったのかは、聞かなかった。
私は明かりをつけずに寝室へ戻り、荷物をまとめ始めた。怜介はすっかり寝入っていたが、手にはまだスマホを握っていた。
ふいに画面が光った。桃香からのメッセージだった。
【どう?機嫌直った?ぶりっ子ちゃんに、私の連絡先を削除しろとか言われてない?】
付き合い始めたその日に、怜介は自分のスマホに私の指紋を登録してくれた。けれど、彼のスマホをのぞくのはこれが初めてだった。
履歴をさかのぼる。私がリビングで気持ちを落ち着けようとしていた間、彼は桃香に私の愚痴をこぼしていた。
【……大学で知り合ったばかりの頃から、紗和はよく、同級生にいじめられたって言ってた】
桃香はこう返していた。
【私もぶりっ子してた頃、よくそうやって弱いふりしてたよ。男の人に、守ってあげたいって思わせるの】
続いて、怜介のメッセージ。
【友達に裏切られることが多かったから、桃香たちを紹介したんだ。いい友達が増えればって思ったのに、どうしてこうなるんだろう】
桃香の返信は、からかうような調子だった。
【私たちを勝手に敵だと思ってるんでしょ。仲を引き裂いちゃえば、怜介を独り占めできるもんね】
5分たってから、怜介が返した。
【紗和って、本当にそういう子なのかな】
桃香の返信は、その30分後だった。
【それ、もうあの子の思うつぼだよ。これ以上は言わない。私が悪者にされても困るし】
怜介の返事は、たったひと言。
【桃香を信じる】
スマホを元に戻すとき、指先が震えた。
彼女を信じるのなら、私が出ていけばいい。
第2話
一睡もできないまま荷造りを終え、私はひとり、リビングで帰りの切符を予約していた。
ふいに、玄関のドアをたたく音がした。不思議に思って開けると、外から大きな花束がぐいっと突き出された。
「怜介、ぶりっ子ちゃんの機嫌の取り方、教えてあげる」
私は花粉にひどいアレルギーがある。花束を見た瞬間、とっさにドアを閉めようとした。
すると桃香が悲鳴を上げ、そのまま後ろへ倒れかかった。
「危ない!」
寝室から飛び出してきた怜介は私を押しのけ、桃香を両腕で抱き上げた。そして振り返り、私を怒鳴りつけた。
「紗和、いくらなんでもひどいだろ!」
アレルギーで息もできなくなっている私の姿は、目に入らないらしい。薬を見つけたときには、彼はもう桃香を抱えて病院へ向かっていた。
ようやく症状が治まってきたと思ったら、今度は下腹部に重い痛みが走った。不安になり、私もタクシーで病院へ行った。
検査結果を手にした医師は、眉をひそめた。
「妊娠しているのに、クロルフェニラミンを飲んだんですか。この薬は妊娠中には慎重に使う必要があります」
聞き間違いかと思って、私は固まった。
「……え?」
医師は検査結果を見せた。
「妊娠して1か月あまりです。1回飲んだからといって、必ず胎児に形態異常が出るわけではありません。念のため、検査を受けておきましょう」
思わずお腹に手を当てた。ここに、小さな命が宿っていたなんて。
スマホが震えた。怜介からだった。
【紗和、僕がすぐに動かなかったら、桃香は階段から落ちてたんだよ。このことは、必ず桃香に謝って】
返事はせず、私は医師に告げた。
「検査は結構です。中絶をお願いします」
「本当に、よろしいんですか?」
私は深く息を吸った。
「はい」
手術を終え、壁に手をつきながら、少しずつ歩いて外へ向かった。
ところがロビーで、怜介と出くわした。片膝をつき、桃香の足首を両手で包むようにして、もんでやっている。楽しそうに話していた2人は、私を見ると同時に笑顔が消えた。
桃香が、けがをしていないほうの足で怜介をつついた。
「謝らなくていいって言ったのに。見て、またか弱そうな顔してる」
怜介は眉を寄せた。
「紗和、いつも被害者のふりをしないと気が済まない?」
手の中の、中絶手術の診療記録を握りしめた。
「花粉のアレルギーまで、演技だと思ってるの?」
怜介は何かを思い出したように、わずかに表情を緩めた。
「桃香は紗和に花粉のアレルギーがあるなんて知らなかったんだ。よかれと思ってやったんだから、そんなに敵意を向けなくてもいいだろ」
私は彼の脇を通り抜けた。
「もうどうでもいい。私たちは終わったんだから」
そこへ、彼らの友人たちもやって来た。
「怜介のぶりっ子彼女をなだめるだけじゃなかったの?なんで病院にいるわけ?」
「怜介と友達でいるために、桃香も必死だよね。今まで、こんなひどい目に遭ったことなんてなかったのに」
「今、どこまで進んだ?ぶりっ子ちゃん、そろそろ家出するところ?」
そのうちの1人が、私のスマホを奪った。
「ほら、当たり!ぶりっ子ちゃん、実家に帰る切符を買ってる!怜介、これから必死に追いかけて、よりを戻してもらわなきゃね」
桃香は怜介を押しのけ、よろよろと立ち上がった。
「私、帰るね。やっぱり彼女のほうが大事でしょ。
ごめんね、ぶりっ子ちゃん。怜介のこと、もう怒らないで。これからは怜介のいる集まりには行かないようにするから。
早く切符を払い戻してきなよ。遅くなると、手数料取られちゃうよ」
スマホを奪った友人が笑った。
「桃香、元ぶりっ子なのに、そんなこともわからないの?彼女ちゃんは、怜介にも切符を買ってほしいんだよ。実家まで追いかけて、機嫌を取りに来るくらいの誠意を見せてってこと」
その友人は怜介を小突いた。
「早く予約しなよ、怜介。座席が埋まったら、新幹線の通路に立ったまま、彼女ちゃんをなだめることになるよ!」
怜介は怒りで顔をこわばらせ、私を見た。
「紗和、切符を払い戻して」
私は表情を変えず、スマホを取り返した。
「言ったよね。もう終わったの」
怜介が声を落とした。
「人がいるから、引くに引けないのはわかるよ。いい子だから、あとで切符は払い戻して。夜、家でちゃんと話そう」
返事をする気にもなれず、私は彼をよけて歩き出した。
彼が桃香と一緒に陰で私を笑いものにしたあの瞬間から、話し合うことなんて何も残っていなかった。
第3話
部屋に戻って荷物を手にしたところで、運休を知らせるメッセージが届いた。台風の影響で、今夜乗るはずの列車が取りやめになったのだ。
明日の切符を探しながら、近くのホテルに空きがないか調べていると、怜介が帰ってきた。
家にいる私を見るなり、彼は、やっぱりねと言いたげに笑った。スーツケースを脇へ押しやり、私を抱きしめようと手を伸ばす。
「ほら、紗和。全部僕が悪かったから。もう機嫌直してくれない?」
こんな投げやりな謝り方をする人ではなかったのに……
私はその手を避けた。
「もう別れたんだから、そういうことはやめて。今ここにいるのは、台風で出発できないから。それだけ」
怜介は一瞬動きを止めたが、何も言わなかった。けれど、どこからか笑い声が聞こえた気がした。顔を見ても、彼は無表情のままだ。
私は箱を1つ、彼の前へ押し出した。
「この5年間にもらったプレゼント、全部入ってる。一緒に出かけたときの半券や、お土産も。別れたんだから、返すね」
一番上に載っていたクマのぬいぐるみが、突然床に落ちた。その手が床にぶつかった拍子に、怜介の声が流れ出す。
「ひどいやつらだ、ひどいやつらだ!みんな、僕の紗和をいじめて!」
しばらく、動けなかった。声を録音できるこのクマは、怜介から初めてもらったプレゼントだった。
私が気弱で、いつも嫌な目に遭っていると、彼が知ったばかりの頃だ。私はもめ事が怖くて、かばってもらうことさえためらっていた。怜介はあれこれ考えた末、このクマをくれたのだった。
あのとき彼は私の頬を軽くつまんで言った。
「紗和は優しすぎるんだよ。でも、少しくらい言い返す強さも必要だ。ずっとため込んでたら、体まで壊しちゃう。
人ともめたくないなら、普段は僕が守るから。それでも腹が立って仕方ないときは、このクマをぎゅっとして。代わりに僕が怒ってあげる」
まさかそのクマが、5年後の彼自身に怒ることになるなんて。
クマを見つめる怜介も黙っていた。少しは心を動かされたのだと思った。
けれど、またかすかに誰かの声がした。
「……機嫌を取りたいなら、手ぶらじゃだめってことだよ」
私は数歩近づき、怜介の右耳からワイヤレスイヤホンを外した。そこから、桃香の声が漏れてきた。
「うわ、これも見抜くんだ。ぶりっ子ちゃん、相当な上級者だね。何人の男で練習したら、そこまでできるようになるの?」
そこで初めて気がついた。怜介の胸には、小さなカメラまでついていた。
私の機嫌を取る様子まで、彼は桃香に生中継していたのだ。
ばれるとは思っていなかったのか、怜介は気まずそうな顔をした。
「桃香は、自分のせいでこうなったからって、僕を手伝おうとしてくれただけだよ。変に考えないで」
こんなときまで、彼は桃香をかばう。
「何を買ってあげたら機嫌が直るのか、はっきり言ってよ。紗和、これだけ大勢が振り回されてるんだ。僕だって疲れるよ」
突然、私のスマホから入金の通知音がした。
100万円。
怜介はスマホをしまった。
「それか、そのお金で好きなものを買えばいい。これからは桃香のことで騒がないで。子どもの頃から20年以上の付き合いなんだ。もう会わないなんて、できるわけないだろ」
画面の金額を見て、何とも皮肉なものだと思った。私は何も言わず、そのまま送り返した。
桃香が声を上げた。
「え、100万円でもだめなの?私がぶりっ子してた頃だって、そんなに貢がせたことないよ。今まで、どれだけのお金を巻き上げてきたんだろ」
もう1秒だって、ここにはいられない。台風だろうと、出ていこう。
桃香はまだ、彼をあおっていた。
「早く追いかけてあげなよ。この土砂降りだよ?ぶりっ子ちゃん、もうあんなにゆっくり歩いて待ってるじゃない。
ぐずぐずしてたら、本当にぬれちゃうよ。そのあと湯たんぽで40度の熱があるふりでもされたら、かわいそうでたまらなくなるんじゃない?」
怜介が言ったのは、ひと言だけだった。
「好きにすればいい。もう機嫌を取るのは疲れた」
私はドアを閉めた。
第4話
翌日は晴れ、実家へ帰る新幹線の切符も取れた。出発する前に、動物病院へ愛犬のハナを迎えに行った。
少し前に足をけがしたハナは、治療が終わったあとも病院に預けたままだった。ちょうど桃香がうちに来ることになり、怜介が「桃香は犬の毛にアレルギーがあるから、帰ってから迎えに行こう」と言ったからだ。そのまま、今日まで預かってもらっていた。
けれど受付に行くと、不思議そうな顔をされた。
「ハナちゃんは、今朝お迎えが来ましたよね?」
頭の中が真っ白になった。
「誰が連れていったんですか?どうして私に連絡がなかったんですか?」
受付の人は慌てて、防犯カメラの映像を開いた。
「女性の方でした。ハナちゃんのパパのお友達だとおっしゃっていて。パパと一緒に写っている写真も見せてくださったので……」
画面に映っていたのは、確かに桃香だった。犬の毛にアレルギーがあると、あれほど言っていた桃香が、ハナを連れ出していた。
考えるより先に、私は怜介の家へ駆け戻った。桃香もいた。2人は、すぐそばに寄り添っていた。
「ハナをどこへ連れていったの!?」
心臓が激しく打ち、握りしめた手には爪が食い込んでいた。
桃香は答えず、困ったふりをして怜介を見た。
「どういうこと?私が知ってるわけ?」
怜介が私を引き離した。
「ハナは動物病院だろ?」
私はもう、限界だった。
「桃香、とぼけないで!病院の人が、あなたが連れていったって言ってるの。映像にも、はっきり残ってる!ハナはどこ?怜介を取り合うつもりなんてない。私は今日出ていくから、お願い、ハナを返して!」
桃香は腕を組み、あきれたように言った。
「ぶりっ子ちゃん、私が犬の毛にアレルギーあるの、忘れた?怜介が機嫌を取ってくれないからって、犬まで使って私たちの仲を裂きたいんだ。私だって、一番あざとかった頃でも、動物には手を出さなかったよ」
怜介の表情が冷えた。
「紗和、それは本当にやりすぎだよ」
私はスマホを取り出し、110番にかけようとした。怜介が、その手を押さえた。
「そこまで大ごとにしたいの?あとでどうなるか、考えた?」
力いっぱい振りほどいた、そのときだった。管理会社から電話がかかってきた。
「辻村様。先ほど、お宅の犬が地下駐車場を走り回っていて、車にはねられて死んでしまったんです。恐れ入りますが、下まで来ていただけますか」
ぱたん、とスマホが床に落ちた。
桃香が肩をすくめた。
「こうやって話を終わらせるんだ。わざと犬を死なせて、今度は泣きわめいて私のせいにするのね。もういいよ、怜介。少なくとも彼女と別れるまでは、友達でいるのもやめよう。次に何をされるか、わかったもんじゃない」
私はついに抑えが利かなくなり、桃香の頬をたたいた。
「私が気弱だからって、ハナにまで手を出していいわけじゃない!許さない。絶対に許さないから!」
怜介に強く突き飛ばされ、私は床に倒れた。
「紗和!どうかしてるよ!」
信じられないという顔で、彼は私を見ていた。
「桃香に罪をなすりつけるために、5年も飼ってきたハナまで犠牲にするの?」
桃香を支えて起こしながら、怜介は冷え切った声で言った。
「桃香が許してくれない限り、僕たちもやり直せないから」
私は手元のクッションをつかみ、ありったけの力で彼に投げつけた。
「出ていって!」
2人がいなくなったあと、私はひとりでハナを見送った。
中絶手術の診療記録をローテーブルに置き、ハナの遺骨を抱えて、振り返らずにその家を出た。
……
一方、桃香を病院に連れていった怜介は、すぐに帰ろうとしていた。
「どこに行くの?まだ、あのぶりっ子のところに戻るつもり?」
怜介はため息をついた。
「紗和の代わりに僕が謝るよ。あんなことをするなんて、思わなかった。でも、気の弱い子だから、最初はハナを隠すつもりだったんだと思う。まさか走り出して、車にはねられるなんて思ってなかったんだろう。
ひとりで後始末をさせたら、ハナをはねた住人に、言いがかりをつけられるかもしれない。僕が行って、助けてやらないと」
桃香は明らかに焦り、あとを追おうとした。だが怜介は、その前に車へ乗り込んだ。
管理会社からカメラの映像を取り寄せ、帰宅した怜介が腰を下ろして確かめようとすると、ローテーブルの上の書類が目に入った。
それは、中絶手術の診療記録だった。